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  • 執筆者の写真Nobuhiro Kawai

こころ

今年もいろんな方々の景観づくりに関わらせていただいた。

そんな仕事の中でありがたいと思うことは、施主の方々との会話である。

頼む側と頼まれる側。

自分にとっては独り占めできるのだから、こちらもいろんなことを質問するし、それにきちんと答えてくれる。

その中でも印象に残った言葉がある。

ある地主さんとの会話。

その方の家の隣には公共の土地があり、そこをボランティアとして10年近くも環境整備している。

自分はその土地に毎年植樹させてもらっている。

そんな姿を見る周りの方々からは地主さんが故にお金にものを言わせて行っていると思われていることもあるという。

そんな声にその方は「こういったことをするのはお金があればできるというものでもないと思うよ。大事なのは心なんだよ。」と。

ここを荒らした土地にしたくない。心地のいい環境に育てたい。

そんな心がなければそこにお金をつぎ込みはしないだよと自分なりに解釈した。

そりゃあ日々の暮らしに追われている人に同じことをしようと言ったって無理な話だけれど、ちょっと余裕のある人に同じことをしてくださいと言ったって難しいとも思う。

そこにはやはり「こころ」が大事なのだろう。

今年、ある方からの紹介で長年庭で育ててきたヒバの木を伐採する仕事を依頼された。


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こんな大きなヒバを見るのは久しぶりで、全て手作業で搬出しなければならなかった。


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長年連れ添った木を切るということは、持ち主にとってはかなりの決断が必要だったと憶測することができる。

自身も歳を召され管理するのも大変で何より周りの迷惑になるから。

そんなことを口にしながらもどんな気持ちでその作業を見つめていたのだろうか。


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50数年の年輪。

この家に来て文字通り見守っていたんだと感じることができた。

枝の搬出が終わり幹の搬出。

比較的軽い樹種だがさすがに50年の幹の重さは簡単ではなかった。

丸太の下に小さな丸太を敷いて転がし道路まで引っ張る。

数十分の格闘の末にようやく車の荷台に収めることができた。

それを木材工場に運ぶ。


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これをどのように残そうかと考えてみた。

一番太い丸太は板にして残す。

その他も板がやはり簡単な方法である。

板に取れないような残った丸太で何かお返しできるものはないだろうかと考えた。

自分ではできないが周りには優れた技術を持った人たちがたくさんいるのが本当にありがたい。

ツリーハウスを作った時もそうだが、全てを自分一人で作ろうとしてもいいものはできない。

任せるべきところは腕のいい人に任せた方がいいものができるに決まっているのだ。

自分はどこをどの人に任せて作ってもらうかを考えればいいと思っている。

それほど多彩な技術を持った人たちが自分の周りにいることにいつも感謝している。

今回はその中の一人の人にお願いしてあるものを作ってもらうことにした。

お願いしてから数ヶ月。


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形の違う3枚のお皿が出来上がった。

ヒバだけに非常に軽くそして以外とゆがみもなくきれいに仕上がったのではないだろうか。

このお皿を手に今日お客さんのところに届けた。

以前からいつかこのようなことをしてみたいとは思っていたがなかなか実現に至らなかった。

今回のように大きくなりすぎた木の伐採依頼は毎年絶えない。

単に伐採してゴミとして処分するだけだったのが、今回のようにお皿として残っていつもそばに置いておけたならどんな気持ちになるのだろう。

かわいそうだけど、ごめんねといった気持ちで伐採しなくてはならない木が少しでもこのような形で残ればどんな気持ちだろうな。

自分には経験できないことだけれど察するところはある。

こういったことも「こころ」なのだろうかとも思う。

いろいろな場面でこころが試される。

全てがきちんと行動できるかといったら難しいと思う。

でも、思う「こころ」が大事だと思うから持ち続けようと思う。

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